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​読みもの

ルーツとしての沖縄ー南米移民を中心にー

 石川友紀(琉球大学名誉教授)

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​ルーツのはじまり

日本から海外への本格的な集団移民の開始は1885年(明治18年)のハワイへの移民からであった。それから約15年後の1990年(明治33年)に26人の沖縄県人が集団移民として、初めてハワイのサトウキビ耕地へ出稼ぎ移民として渡航した。この初回移民の歴史が沖縄系移民34万人のルーツの始まりとみなされる。それ以前にアメリカ合衆国本土へ個人的な出稼ぎ移民は若干みられた。

 

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​戦前移民略史

 沖縄県からハワイへの第2回移民は3年後の1903年(明治36年)に農業自由移民として40人が送り出された。1904年(明治37年)になると、ハワイへの移民は増加し、キシコとフィリピンへの移民も開始される。また、南米へは初めて1906年(明治39年)にペルーへの移民、2年おくれてブラジルへの移民も開始される。この1906年はハワイ移民が大部分を占めるが、おきなわけんにおける出移民の総数が史上最高の4,670人を記録するまでにいたる。その後、沖縄県から世界各地へ移民が継続して、とくに、大正時代から昭和10年代までに大部分が送り出され、沖縄県からの移民送出は第二次世界大戦前において、戦後に比較して量的には多かった。

 現在、世界の沖縄系移民の約75%が南米に在住している。ちなみに、移民統計をみると、沖縄県は第二次世界大戦前、1899年(明治32年)から1941年(昭和16年)までの43年間の出移民数は7万2,227人を数え、全国65万5,661人の11.0%を占め、首位広島県の9万6,848人(全国の14.8%)についで第2位であった。1940年(昭和15年)時点の海外在留者数を現住人口で割り比率をだすと、沖縄県は飛びぬけて高く9.97%を占め、これは全国平均の1.03%の9.68倍にも相当した。この海外在留者率の第2位は熊本県の4.78%、第3位は広島県の3.88%、第4位は山口県の3.23%、第5位は和歌山県の2.57%、第6位は佐賀県の2.08%であった。この6県が日本の『移民県』と称してもよい。上記沖縄県の海外在留者をみると、戦前全国では100人に1人の移民が出ているのに対し、沖縄県では10人に1人の移民が出ていることを示す。

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​出移民送出地域

沖縄県内の主要な出移民地域は、沖縄本島とその付属島嶼であった。県移民発祥の地はハワイへの第1回・第2回移民のほとんどを占めた国頭郡金武村である。出移民現象は沖縄本島の中頭・島尻の両郡を南下し、以後、再び北上して国頭郡からの移民が多くなり、最後に付属島嶼へ移っていった。宮古や八重山諸島からの移民はほとんど見られなかった。ただし、両諸島からは台湾や南洋諸島への移民は少なくなかった。

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​移民送出の要因

 沖縄県における出移民の要因は、出稼ぎ・金儲けという経済的要因が主体をなしていたことは間違いない。しかし、それ以外にも地割制廃止に伴う新土地制度の施行や移民会社・移民周旋人・移民指導者・移民先駆者の存在、徴兵忌避や徴兵回避、地縁血縁関係、共同体組織などの社会的要因の占める比重も高い。また移民に対する個人的な動機もあり、海外への雄飛の精神も加わる。上記の要因が複合的に働く場合も少なくない。

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​移民の行先国や地域

 沖縄県人はいずれの国や地域へ多く移民を出したのであろうか。1940年(昭和15年)時点の沖縄県の海外在留者を見ると第1位はブラジルの1万6,287人で、これは沖縄県全体の5万7,283人の28.4%をも占めた。第2位はハワイの1万3,146人(全体の23.0%)、第3位はペルーの1万717人(18.7%)第4位はフィリピン群島の9,899人(17.3%)であった。この上位4カ国(地域)で県全体の87.4%にも達し、戦前の沖縄県の移民先国の代表といえばこの4カ国(地域)であった。このほか、移民先国はアルゼンチン、英領マレー(シンガポールを含む)、中華民国、アメリカ合衆国本土などとつづき、沖縄県からの移民は全部で23以上の国(地域)にも及んでいた。なお、戦前には当時日本の領土であった南洋諸島に6万人、台湾に約2万人、満州に約2000人の県出身者が在留し、朝鮮、樺太、関東州などにも相当数在留していた。

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​海外の沖縄移民社会

 海外に在住する移民の記事が毎日のように新聞に掲載されるのは、全国広しといえども、沖縄県のみであろう。このことは県において海外移民の一世、二世、三世等との関係が深く、新聞・テレビ・ラジオなどマスコミにとって、移民事象は大きなニュースバリューを持つもののひとつである事を物語っている。今日、グローバリゼーションという世界的規模で国際化・情報化社会が進展するにつれ、われわれは外国を身近に感じ、海外在住の沖縄移民社会やその文化を知ることが可能となり、交流の機会も増えてくる。海外移民は国際交流や国際貢献の先駆けとなり、現地社会で果たしている役割は大きい。海外在住の移民は民間外交員と称してもよかろう。

 第二次世界大戦前日本において、後進県のひとつであった沖縄県から出た移民は、風俗や習慣、生活様式や文化の異なる移民先国にあって、数々の苦難を乗り越え、子や孫の成長を楽しみに向上すべく一生懸命働いてきた。そして、現在一世移民は日本人としての誠実や勤勉、信用さが認められ、移民先国においてよき社会の一員として貢献し、長寿を維持し、充実した生活を送っている者が多数である。戦前は移民による多くの送金により疲弊した母県母村の経済を潤してきた。終戦直後の悲惨な時期には海外各地の移民から郷里沖縄へ戦災救援の暖かい手が差し伸べられた。

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​南米の日系人

 現在、日系人は世界中に約270万人在住すると言われているが、その大部分は南北アメリカンに在住する。なかでも、日系人の最大の集団は南米ブラジルの約150万人であり、第2位はペルーの約9万人、第3位はアルゼンチンの約5万人、第4位はボリビアの約2万人、第5位はパラグアイの約1万人と推定される。南米における上記5カ国の日系人の合計は167万人となり、それは全世界の日系人、数約270万人の62%をも占める。そのなかで、沖縄系移民数はブラジルが約15万人(全国の10%)、ペルーが約6万3000人(70%)、アルゼンチン約3万5000人(70%)、ボリビアが約1万2000人(60%)、パラグアイが約100人(1%)と推定される。

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